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研究室紹介

1.教授挨拶

教授挨拶心臓血管生理医学教室は、循環器の機能について分子から個体までを統合する制御機構に関する教育・研究を目的として作られました。生理学のマインドを持ち、様々な手法で循環器疾患を対象とした研究を行う研究室です。
 循環器疾患(心臓・血管の疾病)の病態生理、及びその基盤となる分子機構の解明と、診断および予防・治療への発展を目指して、基礎医学(分子生物学・生化学・病理形態学)的手法・臨床生理学、さらには医工連携の枠組みを駆使して研究を行っています。特に、ゲノム損傷、発生学、医工連携のようなキーワードに表されるように originality の高い研究を目指しています。

2.教室概要

心臓血管生理医学教室は、循環器の機能についての分子から個体までを統合する制御機構に関する教育・研究を掲げ、生粋の生理学教室というよりは、循環器を研究対象とした研究を行う教室です。

3.教室沿革

一、沿革

西丸和義教授 広島大学医学部の前身、広島県立医学専門学校は、昭和20(1945)年2月13日に設立認可された。当時、岡山医科大学生理学助教授であった西田勇が、講師として生理学講義を担当することになった。疎開先の高田郡小田村高林坊で、20年8月8日から授業を開始した。同年12月6日、加茂郡安浦町安浦海兵団跡に移転、22年2月15日、生理学教室は呉市二河町に移転した。21年4月、講師西田勇は、岡山医科大学に復帰し、後任には小坂寿(奉天盛京医科大教授)が教授として着任した。22年8月、小坂は辞任し、9月、西丸和義が東京慈恵医大から着任した。
 二河校舎は、旧呉海軍工廠の工員宿舎跡で、学校と呼ぶには余りにもひどいものであったが、教授西丸の下に教室員が力を合わせて研究施設を整備し、できることから仕事をしようという考えの下に研究を行った。当時は学校が購入した器械、器具、書籍などは皆無で、研究用具および薬品などは、すべて西丸とともに東京から移転した慈恵会脈学研究所のものを借用した。
 昭和22年12、呉市阿賀町の市立呉病院に基礎教室が移転したが、病室を改造した研究室に落ち着くと、まもなく薬理教室と生化学教室の間の配管工事現場から出火して、これまでの器械などをすべて鳥有に帰した。この時の教室員は、教授西丸、助教授銭場武彦、助手萩原仁・入澤宏・西田・山内の6名であった。学校はこれで終わりかと思われたが、研究こそ優先であると焼け残りの教室に、あり合わせの器具を組み合わせて、実験装置を造った。

入澤宏教授 昭和23年2月、阿賀町小倉新聞の旧呉海軍共済病院 阿賀分院に基礎教室が移り、同年4月1日、広島県立医科大学に昇格した。このころから、西丸の下に助教授銭場友重、講師渡辺俊男、同八田博英らが集まり、脈管系の構造と機能を中心とした広範な比較研究が始まった。28年8月1日、広島大学医学部として国立に移管され、32年1月28日には、呉市より広島市霞町に移転し、4号館の一角に研究室を持つこととなった。33年7月、第二生理教室が開講し、助教授の銭場が教授に選出された。35年には、西丸は定年退官し、入澤宏が後任となった。37年、第一生理学教室は4号館を出て3号館に移った。3号館は、4号館同様赤レンガの建物であったが、研究室は鋭意近代化に努めた結果、国内的にはかなり整備の整ったものとなった。
 昭和43年から数年間は、創設期の困難とは別種の困難が医学部の前進を阻んでしまった。当時、全国的な学園紛争の中にあって、研究室は封鎖され、その解除後も長く研究が阻害された。その建設には長時間を要するも、その破壊はわずか短時間しかからないことが実感された。
 昭和46年、基礎研究棟が落成して、第一生理と第二生理は同じ五階を占めることとなった。建学以来、実に八度の移転の後、外観はCottageからCollegeへと変わった。学問が育つ場はでき上がった。Harvey以来の生理学の伝統が生かされている数少ない学風を持つ大学として、新しい生理学を生み出す希望に燃えているのは筆者だけであるまい。

二、主要研究業績

 創設されてから、ほとんだなかった教室の業績は、西丸の就任とともにきわめて重厚な脈関学に関する総括的研究を開始した。これらの研究は、西丸の在任中に「体液循環生理の研究」(医学書院)としてまとめられた。退官後も西丸は、「脈管学の基礎」(アカデミーサービス)をはじめ、「Basic study on Angiology」を著し、脈管学の創設と将来への展望に尽力した。さらに全国の脈管学に思いを同じくする人々を糾合して、日本脈管学会を設立するとともに、永年にわたり運営し、会員数5000名を数えるまでに育てた。

生理学第1講座教室員(名古屋)平成7年3月 入澤が教室を主宰してから後は、主として心臓を中心とした比較生理学研究を行い、昭和36年から43年の間は、無脊椎動物心筋の微小電極による研究に終始した。この間、小林惇が尿管平滑筋の膜電位を初めて記録したり、カルシウムイオンの役目を主とする心筋についての知見がえられた。これらは37年(リーデン)40年(東京)43年(ワシントンDC)46年(ミュンヘン)などの国際生理学会で発表し、原著もそれぞれ報告した。二宮石雄はアメリカに於いて無麻酔装着犬の実験を行い、以後調圧神経のインパルスを記録し、同時に各部交感神経のインパルスを記録する方法を考案し、小型電子計算機によりデータを収集する方法を開発した。その結果は、すでに10冊にあまる報告としてアメリカ生理誌上に発表されている。また、49年の国際生理学衛星シンポジウムの招待演者として、交感神経の部位的差異の報告をまとめた。瀬山一正は、種々毒神経の心筋、特に洞房結節のイオン流に及ぼす効果を研究し、その前段階のヤリイカ神経についての報告は、すでにイギリスの生理誌に報告された。入澤彩は微細構造を担当して、機能と構造の橋渡しを早くより示唆し、特に細胞と細胞の間における興奮伝導と、その構造上の裏づけについて報告した。重藤紀和は大学院とその前後を通じ、房室結節の間の伝導を研究し、房室結節における遅い伝導は細胞が受動的にふるまうためであるという考えに反対し、結節細胞も他部の細胞と同じ性質であるが、Na+の担体が不活性となっているために起こる現象であることを明らかにし、スイス医誌および欧文日本生理誌に報告した。西丸直子は、胃に至る交感神経活動が腎臓に分布する交感神経活動と著しく異なることを明らかにし、不均一分布の先鞭となりアメリカ生理誌に報告した。野間昭典は熊本大学において教授佐藤より生理学の手ほどきを受けた後に帰学し、洞房結節の電圧固定法に新生面を切り開いた。教授入澤は54年に国立生理学研究所に移り、引き続き洞房結節細胞を中心とした心筋細胞のイオンチャネル機構について仕事を行い、Physiological Review 誌に2つの総説を残した。入澤は、若手研究者の育成に意を注いだ。生理学会は入澤の生涯にわたる研究への真摯さと、その心意気を汲んで若手研究者を激励することを目的として入澤賞を設置した。また、心臓財団もこの入澤の研究に対する態度に感銘し、入澤宏記念研究奨励金を設け、若い人を激励する事業を始めた。

主要人事一覧 昭和54年4月からは、入澤の生理学研究所転出を受けて、瀬山が教室を主宰することとなった。瀬山は教室の研究を、イオンチャンネルの機構の解析に直接迫ることを目標に定めた。まず、Naチャンネルの定量的解析に適した標本開発を行った。横管のない生理的チャンネルの動作の遅いカエル心臓の心室筋細胞が解析に最適なので、単離細胞の作製はこの標本からに決めた。山岡薫は数年を費やし、この開発に成功し、心室筋のNaチャンネルの特性についてイギリス生理誌に報告した。その後、山岡は62年から2年間、オックスフォード大学生理学教室に留学し、Noble教授の下で、細胞内Ca2+測定技術について研鑽を積んだ。三好博史は、Naチャンネルに細胞内情報伝達系による制御が欠落していることをアメリカ生理学会誌に報告した。これらの成果を踏み台として、住居と三好はそれぞれアメリカのSperelakis教授、およびBower教授の下に留学した。Naチャンネルの内面構造を知るため、阻害薬の発見を目的として研究し、Triparginを発見し(日本生理学欧文誌)、ついでイラワンはNFTの抑制効果を調べ、やはり日本生理学欧文誌に報告した。宗盛真は、NFTの効果がKチャンネルにもおよぶことを広大欧文誌に報告した。さらに宗盛は、カエルのATP感受性Kチャンネルについて解析し、その特性を膜生物誌に発表した。Caチャンネルに関しては、まず加藤亮が特性を明らかにし、広大医誌に報告した。これを受けて山岡は、Caチャンネルの制御にMg2+とリン酸化が深く関わることを発見し、A-kinaseによるチャンネルリン酸化が直接的にチャンネルを制御しているという現在の中心的考えに、修正を迫る学説を提案している。これらはまとめて欧州生理学会誌に発表された。
 一方、Naチャンネル機能—構造解析を目標とした分野では、Naチャンネル解放毒であるクラヤノトキシン(GTX)について、辻勝三と焼廣益秀が構造-活性相関の研究を行った。93種の類同体から、活性保持に必要な部位の科学的性質を明らかにし、アメリカ薬理学会誌にそれぞれ発表した。また、岡山大学農芸部岩佐教授と共同で、光親和性標識化合物を合成し、Naチャンネル内の結合部位を明らかにする準備をした(農芸化学会誌)。GTXの細胞膜上の作用部位を特定し、GTXが細胞膜通過後細胞内面よりNaチャンネルに結合し作用を発揮することを明らかにし、アメリカ生物物理学会誌に発表した。GTXのNaチャンネルに対する作用様式については持続的な膜脱分極が必要であり、他のNaチャンネル開放毒と異なり、頻回にチャンネルの開閉をすることは、作用を逆に弱めることを明らかにしている。このことは、作用部位の違いを示唆し、他のNaチャンネル開放毒と組み合わせて、Naチャンネルを機能的に区分する際に利用できることを意味している。
 「広大医学部30年史」の巻末に教授入澤は、「果たして生理学にとって本質な疑問が問われただろうか。果たして独自の方法を持ち得ただろうか。井中の蛙におちてはいないか。あらゆる反省が広大の三十年とともに胸中をよぎる」と記し結んでいる。教授入澤の問いかけは今も生きている。現在では生理学をめぐる学問環境はさらに変わり、還元主義的手法が一層幅広く用いられるようになった結果、部分部分の理解がそこの枠に止まり、全体を統一的に包括する思想が欠如している、このような難しいなかでわれわれは、機能を中心とした生体の統一的理解を求める、本来の生理学の学問伝統を守る必至の模索を続けていかなければならない。なお別表は、西丸教授就任後の主要人事を示したものである。(文責 瀬山一正)

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